システム試行実験
△ 図1 「一人暮らしあんしん電話」の概念図
△ 図2 システム処理フローの作成例
△ 図3 見守りあんしんネットワークイメージ
現在、世界で最も高齢化が進む日本では独居高齢者が2005 年に386 万人、2015 年に566 万人、2025 年には680 万人存在するといわれている。
社会システムデザインプロジェクト(以下SSD)では、2007 年現在、千葉県松戸市常盤平地域を対象に図1、図2 のようなシステム試行実験を行っている。
これは同地域において在宅医療を行っている医師の協力を得て、工学院大学情報学部の管村研究室がシステムを開発し、2007 年夏から地域に向けて実験を開始したものである。
この実験では、医師と独居高齢者を主とした患者を個々に電話回線で結び、日々の安否確認を行う。医師側には業務負担の軽減というメリットがあり、患者側は見守られているという安心感を得ることができる。
さらにプロジェクトとしてはこのネットワークを徐々に拡げていき、いずれは図3 に示すような、地域におけるネットワーク型の医療・介護システムの確立を目指している。
このような地域での新しい医療・介護システムを実行するためには、複数の異なる地域において、ニーズを把握するために事前調査を充分に行う必要がある。
そこでSSD では松戸市常盤平地域の他に、東京都多摩市と新潟県の農山村地域においても各種調査を進めており、その各地域状況データと各実験の運用データから地域(団地)再生における新たな医療・介護システムの手がかりが得られると考えている。
そしてその結果を元に、居住環境・形態・年齢層に合わせたその地域での健康・医療・介護のサポートシステムとその担い手の仕組みを提案していくことを目標としている。
従来の現場視点のない、柔軟でないシステムではこのような地域ネットワークはカバーしきれないと考えられる。
そのため目的、要望、居住環境、サポート環境など、その地域の複雑な要素と相互関係を整理し、合意形成を図ることが求められる。これらに対応する従来に無い手法を創ることが、「社会システムデザイン」の役割である。
地域医療・介護システムの構造的問題
- a. 医療・介護・福祉分野
- b. 地域・まちづくり分野
- c. IT・情報システム分野
上記のような地域医療・介護システムを考えようとすると、医療・介護・地域コミュニティ・居住環境・情報システムなどのいくつかの社会領域にまたがることになる。
これらの領域は、それぞれ個別の官庁管轄であり、学問・産業においても個別の専門分野とされている。
そしてこれらの領域では、それぞれ固有の問題意識と従来型の取り組み方法があり、個別領域内での試行が多々繰り返されている。
日本の医療制度・介護制度の基本的な政策やサービス体系(健康保険制度と診療報酬、介護保険制度とサービス給付等)は、厚生労働省の中央社会保険医療協議会・社会保障審議会で、全国一律に決められ、政策誘導がなされている。
一方で、国の政策よりずっと以前から、赤髭派とも呼ばれる良心的・先進的な医師群によって、いくつかの地域で、患者のニーズに沿った地域医療が行われてきている。
その間、増大する医療・介護負担は、依然として家族内介護に大きく依存してきており、2006 年4 月の医療制度改革では、病院への患者集中を減らし、施設介護を抑制し、在宅医療・在宅介護へのシフトが提唱されている。
日本人の死亡場所は、1960 年には自宅70.7%、病院21.9%であったが、2005 年には自宅12.2%、病院79.8%と逆転した。65 歳以上の高齢者数は、2005 年に2576 万人、2025 年には3559 万人である。2005 年の死亡場所の比率がそのままであると仮定すると、2025 年には病院で亡くなる人の数が約1.4 倍になるわけである。
しかし日本の政策は病院の療養病床の半減などにより、病院で亡くなる人を現在より減らそうとしている。そうなると病院以外で、かつ看取る家族がなく一人で亡くなる人が増加することになる。
このような医療・介護の現状を、誰がどのように解決するかは現在の大きな課題である。
日常生活が営まれている圏域において、SSD が注目しているのが団地を含む都心近郊の住宅地域である。
ここは、かつて高度成長を支えた団塊の世代が、都心へ通勤するベッドタウンとして明るい希望の下に入居をした。しかし現在では高齢化・老朽化の危機に直面し、同時に高齢者の孤独死問題が取り上げられるようになり、その取り組みが全国各地で始まっている。
約77 万戸の賃貸住宅の家主であり、約10 万戸を分譲してきたUR 都市機構は、従来の団地建替事業に加え、大規模改修や敷地の有効利用等の組み合わせや、地域に開かれた団地として福祉と一体化させ、空室を小規模多機能や介護施設、診療所に利用することを検討している。
全体的には、1970 年代以前に建設された公団公社借家65 万戸と公営借家120 万戸の合計185 万戸、および民間マンション94 万戸と企業社宅55万戸の合計149 万戸が、現在抜本的に改善を必要としている。総合計は334 万戸である。
これらは国土交通省や地方自治体の管轄といえるが、健康・医療・福祉などの領域を含め、どのように総合デザインを行うのかが課題である。
eJapan 構想や電子政府などの華やかな掛け声で彩られた情報産業の対象であるこの領域では、IT 化と銘打てば多額の予算が付く傾向が続いてきた。情報技術開発の伝統的特徴として、ユーザーの要求仕様(システムの目的)が決まればシステムを作り上げるプロセス技法が用意されている。
しかし基本的にはその仕様は顧客側の問題であると考えられており、顧客側のデザインがしっかりしていなくても、発注書さえ貰えばシステムエンジニアの世界に閉じた開発が行われる。
利害が錯綜して目的が複数になっているこのような社会システムでは、伝統的な技法は無力であり、これを無視して強引にシステムを構築すると、システム障害、ヒューマンエラー、データ消失、セキュリティ被害等の惨事に繋がる。これが現在IT 先進国である日本のあちこちで起こっている事態である。
IT 技術は、ある目的のツール、手段として正しく使いこなせば大いなる力を発揮する。開発を行う技術者の多くも、自分のつくるシステムが人間・社会の役に立つことを望んでいる。
以上のように、これらの領域内において個々の取り組みでは、現在直面している都市近郊での独居高齢者への安心・安全なサービスの提供や、地域医療・介護システムを創り出すという課題を解決することは出来そうにない。
SSD では、これらの領域を越境する試みを行っているのである。
社会システムデザインプロジェクトの発足
△ 図4 デザインプロセス仮説
2006年4月からセコム科学振興財団の助成により「IT 社会環境における未来医療サービスモデル構築法に関する研究― 新社会システムモデル構築法の開発 ―」という正式名称のもと、工学院大学に集まった学内外の27 名の専門家によって本プロジェクトが進められてきた。
初年度はまず社会システムデザインの全体的な開発の手法についての研究協議会を実施し、図4 のデザインプロセスの仮説を導き出し、それを基として健康・医療・福祉に焦点をあてた新しい社会システムデザインの検討を進めてきた。
本年度は引き続き研究協議会のほかに、前項で掲げた3 つの領域に専門家を分けたそれぞれの分科会を設けて各分野でのより密な議論と、仮説を実証・検証するための巻頭に述べた実践活動を行ってきている。
社会システムデザイン研究の方向性
- (1)社会システムデザインの対象
- (2)社会システムデザイン研究の特徴
社会生活において人々が接点を持つ社会領域として、主なものでも医療・介護・福祉・健康・住居・地域・家族・仕事・趣味・教育・年金・情報・通信などがあげられる。
現状ではこの個別社会領域単位に、管轄する行政機関やそれを仕事にしている民間企業やNPO 団体などはあるが、複数領域での結びつきを考えた業務を行っている組織等はほとんど存在していない。
SSD では団地を含む都市近郊の地域の再生と絡めて「医療・介護・住居・地域・情報」を対象とした実践活動を行うことで研究をより社会的かつ現実的なものとしていきたいと考えている。
このような対象領域には、それぞれに複数の目的が存在すると考えられ、構成する人や組織などの要素も多岐にわたり、要素間の相互作用も多様である。そこでは要素間に利益相反・対立などの多様な価値観が存在しているため、より多くのデザインイメージが要求されることになる。
従来の日本の官庁や企業でよく行われている縦割りの管轄領域の中での改革や改善では、複数の分野が結びついた総合的なデザインの実行は困難である。
ここでは総合的な専門知識が必要とされ、学際的・官庁越境的・産業横断的なプロジェクト構造を必要とする。
このような横断的な組織連携をとると同時に、現場と戦略、実践と理論の両面から攻める必要性があり、その点では縦断的な連携も必要である。
またこれら社会システムデザインを行うにあたって重要なのが、複数の専門家をチームマネージメントし、同一の目標に向かってある一定のデザインを行うための要となるチームマネージャーの存在である。これは社会システムデザイナーとも言える。そしてこのデザイナーが持つべき立場としては、提供者ではなく受益者の視点からデザインを考えることが重要である。
現在でもその方向への試みが無いわけではないが、その基礎的方法論、プロジェクト実行の仕組み、人材育成の仕組みなどが不十分であるのが現状である。
SSD では、現状の「科学」を乗り越え、「ハードシステム思考」を脱却し、「現実」を把握しつつ「現場」におけるモデル化を追求する基本的方法論が「社会システムデザイン」であると考えているが、まだ開発途上であり、残念ながら充分に社会的に認知されているわけではない。
今後の目標
- (1)システムモデルの構築
- (2)地方自治体など実行主体の登場
- (3)社会システムデザインのコンセプトの確立
- (4)「社会システムデザイン学」の提案
今年度の調査、モデル実験、研究会でのブレーンストーミングにより、高齢化社会で弱者として取り残されつつある「郊外の独居高齢者」について、「IT 技術」をベースにネットワークを活用した「健康・医療・福祉」の面で安心できる「地域生活システム」の具体的なシステムモデルを提案する。
それには、民間活力の積極的参入を促進する要素が必要とされると共に、助成制度や法制度の整備も含めた行政の関与についても提案する必要があり、そのための検討を重ねている。
これらのモデルは、地方自治体や地域で活動する人々が中心的役割を果たさなければ実現しない。そのためデザイン段階から参画する地域密着の実行主体の登場が望まれ、求められている。
上記の具体的なテーマで開発された、「社会システムデザイン」の方法論を整理、普遍化し、広範囲・多分野での各種課題に適用できる枠組みを確立し、コンセプトを明確にする。
またその構築の際の道具としての「情報システムデザイン」の方法論を正しく連携させる必要がある。
これからの時代における「社会システムデザイン」は、従来の社会学、建築学、法律学、政策科学や技術工学の分野が学際的に協力して開発すべき新しい分野である。
また、出来る限り多くの人々が利用することの出来るように配慮した「ユニバーサルデザイン・インクルーシブデザイン」の性格を備えている必要がある。
以上の方向で、学際分野に新たに「社会システムデザイン学」を創出するための新しい組織・人材・活動方法等の構想を固め、それらの活動の中核となるべき研究機関設立構想の基礎固めを行うのが、SSD の当面の目標である。